長時間労働がクセになってしまうと
人事の悩みのタネと言えば長時間労働。
以前に書いたことと矛盾します。
全社としてはとても少ないのですが、突出している人が1名…。
過労死防衛ラインに引っかかりそうです。
上記の記事でも書いたように弊社は自由な風土です。それを「悪用」するとこういうこともできてしまうのです。
マネージャーも悩んでいて、社長も困ったもんだ、と。
わたしが本人と面談をしたのですが、「やることが多過ぎる」「これはやらされているものだ」というのが本人の主張です。しかしマネージャーにウラをとるとそんなことはありません。その人のアウトプットは明らかな過剰品質になっているそうです。
やらされている、と言いながら本人が求めるレベルの品質のアウトプットをつくってしまっています。
そこまでやるように指示していないし、早く帰れと1年以上言い続けているのです。
本人の身体がとても心配です。こういう状況なので自分で自分を追い込んでいます。
おそらくもう自分では止められないでしょう。わたしの方でコントロールしてPCを強制的にシャットダウンするなどの対応をしようかと考えたりもしてしまいます。
どうしたものやら。
年度末が近づくと、人事等級改定作業の緊張感を思い出します。
1月もあと数日。年度末が近づいています。早いものです。
年度末、人事として最も緊張感が高まる作業が人事等級の改定です。要するに給与改定です。
わたしが構築した人事等級制度の運用が始まって5年が経過します。
同じくわたしが作成した人事評価制度と連動するこの制度、大きなエラーもなくなんとか安定して稼働させています。
給与改定なので最終的にはもちろん経営の判断です。エイヤで決めてもらうしかありません。しかしわたしの作業である程度の方向性を出すことになります。もちろんわたしが恣意的に決めているわけでなく、評価の結果を等級改定のルールに則って運用して「ルール通りに運用するとこうなります」を提示します。
弊社の等級改定では降格・降給をためらいません。必要とあれば社員の家族がどんな状況だろうと給与を下げます。これは等級制度導入の際の大切なオーダーのひとつでした(理由はいくつかあります。いつかお伝えします)。
人事評価の相対評価の結果をもとに昇格・降格の候補を出しますので、アップの人もいればダウンの人もいます。ルール通りに運用するとこの差がプラスマイナスゼロに近くなります。要するにアップする人の給与はダウンした人から持ってくることになってしまうわけです。設計としてある程度想定はしていたのですが、この事実が目の前に現れたときには戦慄しました。あまりにも無意味な弱肉強食だったからです。
そのときから人事からのルール通りの提示のあとに何度も役員で話してもらう運用に変えました。
ルールがあり、最終的には経営が責任をとる仕組みではあります。
でもこれをつくったのが自分だということをいつも自覚しています。わたしは社員をハッピーにするためにこの仕組みをつくりました。それが願い通りに運用されていくかどうかしっかりと責任をとりたいと考えています。
人事の道理がすぐに通じることはとても少ないです。
多くの企業では社長、取締役は現場から上がってきた人のポストであることも珍しくない。だから経営者が経営のプロであるとは限らない。
もちろん、経営職に至るまでに現場で仕事を覚え、部下を持ちマネジメントを覚え、人材育成を覚え…と組織の上に立つために能力やモチベーションを形成していく過程を通っているはずです。
でもだからと言って「経営をやりたいかどうか」というのとは別の問題だと思います。
だから「経営者になりたい!」というモチベーションが弱くても当然です。
これは弊社の経営者たちを批判しているわけではありません。弊社の経営者たちは弊社の事業のプロフェッショナルです。この道の達人たちであることに疑問は差し挟みません。
奥歯にものの挟まった言い方をしていますが、何が言いたいのかというと、経営者に人事の道理を理解してもらうのはとても大変だ、ということです。
今期、人事評価を大メンテナンスしました。WindowsXPとWindows7くらいの変更です。もともとあった人事評価システムはわたしが入社したときに作成したものなのでかれこれ5年以上使っています。5年も使っているといろいろなところにひずみが出てきます。採点方法、採点基準がずれてきたり、評価項目に解釈の幅が出てきたり。これはメンテナンスが必要だ、と担当の取締役と話してエイヤで改定しました。結局2年かかりました。
この担当取締役、弊社のなかでも腕利きで知られる人です。お客様からの信頼も篤く、事業にも通じています。弊社のことをよく知り、会社を変えていきたいという想いがとても強い人です。今回の改訂は彼と作業を行ないました。
当初のわたしの意図では、いわば行動経済学的に解決できると考えていました。採点する人の心理的傾向、採点される人は何を評価されたいのか、ある程度の仮説を持っていたのでそれに沿ってメンテナンスを行ないました。
担当取締役ともそれで話が進んでいたのですが…途中で彼の「想い」がぐぐぐっと出てきてその思うところをかなり反映する方向になりました。当初出していた問題点や課題はだんだんと後ろに下がり…。ある一定の方向性をもったものにはなりましたが、弊社の課題とはややずれるものになってしまったようにわたしは感じました。
そして上期の人事評価を実際に行ったら…。やっぱり。前の評価システムと同じ傾向が出てしまいました。社長を含む取締役と議論をしながら「やっぱり」と何度も思っていました。
…もちろん、織り込み済みです。すでに改修バージョンの改修手段は用意してあります。
人事の道理をすぐに理解してもらえるなんて思っていません。1回人事制度の構築をやっていただいて会社組織が思い通りにまったく動かないことを実感していただけたいい機会になりました。
もちろん評価自体が無効になるわけではありません。マネージャーたちが全力で採点してくれたものです。十分に使えます。
さて、来期に向けて改修を進めます。今度はもうちょっと人事の道理を前面に出します。
社内で決裁をもらうための書類づくりについて、前職のマネージャーが教えてくれたこと
総務ですもの、社内の書類をたくさんつくります。
今日も災害時の安否確認システムの稟議書をつくりました。
(稟議ってアホくさい、そもそも無駄だ、という議論はちょっと置いておいて…)
決裁を求めるための書類をつくる際に、いつも思い出すのは前職のマネージャーです。もう10年近く前に仕事をしていた会社は、社長が絵に描いたようなワンマン。社長のご機嫌伺いがわりと大切な仕事でした。特にマネージャーともなればそうでしょう。
そのマネージャーから直接指導されたわけではないのですが、社長の決裁を求める書類をつくっているのを横で見ていたことがあります。その時の様子を見て取って学んだことです。
(1)何をしてほしいのかをはっきり書く。
「◯◯円となります。よろしくお願いします」なんて曖昧な言い方はNG。「◯◯円かかりますが■■ができるようになります。ご承認いただき決裁印をいただきたくお願いいたします」
社内であっても「やってほしい行動」をハッキリ書くことが必要だそうです。
(2)必要な資料を最低限
見積だけでなく、必要な書類はできる限り添付します。
しかし添付しすぎもよくありません。「必要最低限」を十分に吟味します。
その時のチェックポイントは「こんな量は社長に読んでもらえない」です。必要最低限、かつ最大効果の添付資料を厳選します。
(3)手書きで注をバシバシ入れる
これが最大のポイントです。
最後は赤のフェルトペンを使って、機能や仕様の重要なポイントには下線を引いて「ここがポイントです」と手書き。金額の明細の値引き額、他社との比較についても◯をグリグリして「最安値にしました」と手書き。
さらに最後に「ご承認のほどよろしくお願いいたします」と手書き。
もちろん、事前に根回しをしているのですが「初めて見てもわかってもらえるレベル」になっていました。
体裁なんてまったく気にしない(笑)、手作り感満載の書類のできあがりです。
今回のわたしの稟議書もこの流儀でグリグリになっています。
必死さは伝わると思います。
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もちろん、こんな手続に手間暇かけるなんて無意味で無駄だと思っています。
でも現実に目の前の社長、取締役に「うむ」と言って印鑑を気持ちよく押してもらわなければなりません。
物言いがついたり、突き返されたりすることがないよう、一度で済むための工夫でもあるわけです。
ひとが生きている会社、生活者としての社員、社員の人生
とある部門長とその部門メンバーへの面談を引き続き行っています。
今日は、部門のベテラン。社内でもベテランのメンバーでした。
今回のインタビューのテーマは「これから」です。そのメンバーとは自然に定年退職の話題になりました。そうか、もうそんなことを意識するご年齢なんですね。
とても素敵な夢と希望をお持ちのようです。
個人的なことですから詳細にはお聞きできませんでしたが、10年後、20年後の生活についてとても楽しみな計画を聞けました。
定年退職を意識する年代ですから、「いまさら会社への不満とか(笑)。そりゃありますけど、そういうものでしょう」というベテランらしい割り切り。若いメンバーと会社のあり方や、自身のキャリアについて議論をしたのとはまったくちがう雰囲気です。
お話を聞いていて、いろいろあったけどとてもいい職業人生を歩んでこられたのだな、と感じました。
人生の残り時間を現実的に考えたとき、悩むべきこととそうでないことがわかってくるのかもしれません。社員の人生、職業人生でなく生活者として生きているその人の人生。そこにも影響のある仕事なのだな、と強く思いました。
ヒーローインタビューは人を勇気づけます
とある部門長と一緒に、その部門のメンバーに個別面談をしています。
部門長とわたしと本人の3人。
呼ばれて部屋に入ると、人事のわたしがいるので最初は「何事か??」とギョッとされます(笑)。人事の人ってそういうものですよね。
インタビューのテーマは「この会社でのこれから」。
部門長がメンバーの成長のためにこういう機会を設けてくれました。そりゃまあキャリアディベロップメント的なアプローチもできますが、シンプルに耳を傾けることに徹しています。
この会社で得たこと、これからもっと成長したいと考えていること、自分の向き不向き…。ああ、みんなちゃんと働いて成長しているんだな、と「人の変容」が大好きな人事屋さんとしては感慨深いです。
進め方はほとんど「ヒーローインタビュー」です。
自分の足跡と実績をふりかえり、お世話になった人、貢献できた人を思い出すと本人のエネルギーが満ちてくるのを感じます。人材開発のワークショップでは定番のワークですが、ヒーローインタビューをもっともっと活用していきたいな、と考えました。
生産性を最優先にする価値観の誕生を阻むもの
年明けの業務というのはちょっとゆったりしている感じがありますが、実はそんなことはありません。
月末までの日数が少ないので逆算するといろいろと進めておかなくてはいけません。
社内は出社2日めからフルスロットルです。
年始がゆっくりしいているように感じるのは完全に気分の問題のようです。年末年始でゆっくりしていたので、現実の業務スピードについていけないのでしょう。ちょっとした判断が遅かったり。お正月気分をいつまでも引きずっていることなんてできないですね。
年頭に政界、財界からいろいろなメッセージが出てきました。やはり多かったのは「働き方」に関することです。長時間労働撲滅に向けて本格的に動き出した、ということでしょうか。
わたし自身はこの動きを歓迎するものの、まだまだ懐疑的です。労働対価の基準を「時間」から「生み出した価値」に変更することになるわけですが、それを評価できる中間管理職の育成がとても困難に思うのです。そのためには学校文化に根付いている根性主義も排除しないといけません。それは勤勉さの否定でもあるからです。生産性の向上のためにはある意味「サボる」意識が必要です。それは学校や会社で教えられてきた「きっちりやること」のまったく逆です。
「手を抜くな!」ではなく「楽にやれ!」と指導をすることになります。日本の文化からするととても違和感があるように思うのですが、若い世代ではそうでもないのでしょうか。
わたしは生産性に焦点をあてた社会になることは大歓迎です。しかしその実現のための障壁はとても高いように感じています。
新人営業のAさん
Web求人媒体の営業Aさん。
こちらの会社さんとはわりと長い付き合いです。
数年前に新卒の女性営業のTさんが飛び込みでやってきて、そこからのお付き合い。
実際に利用させてもらったり、他のサービスを紹介してもらったり。
Tさんは、のちに媒体の編集長→営業マネージャーと成長していきました。すばらしい。
その彼女の部下がAさんです。「鍛えられてこい」ということでしょうか。
初回の来訪時にはわりと月並みなお話をしました。彼女の話はまったくおもしろくなかったのですが、そのガッツには見るものがありました。
転職2社目だそうで、現職に就くに至った経緯を聞いてみたのですが、「人間のキャリアに関わりたい」という志はとてもよいと思いました。
彼女が帰ったあと、TさんにAさんの評価を送りました。
「対人力」「対課題力」「情意」の3項目にわけてランク付けです。総合はB+としました。
「営業としての素養はあります。スキル的にはまだまだ。
フレンドリーに前向きにお客様に突っ込んでくるのは御社伝統の美点ですが、
「まだ役に立たなそうだけど、期待はできる」
今後は、お客様に対して「問題解決者」
というコメントを添えて。
なかなかおもしろそうな人なので、いろいろと議論をしていきたいと思います。