総務人事の日々

渋谷の中小企業で総務人事。本職は人材開発です。が、人事制度の設計からトイレのトラブル解決までなんでもやります。

人は同じように理解できない。いつもいつも感じています。

職務上、人に指示をする機会が多いです。

 

・タイムカードシステムの入力の仕方
・会議室を使い終わって出るときにやってほしいこと
・自分のキャリアをふりかえるためにこの紙に、最もインパクトのあった経験を書いてもらうこと
・アルバイトの面接の日程調整のために、このURLにアクセスして日程を選んでくださいという指示

 

人間というのは本当に難しくて、同じ指示の仕方でも誰もが同じ行動をするわけではないということです。同じではないので出てくる結果も当然ちがいます。
「受け止め方」が全然ちがうんですね。

 

「なんでこれでわからないんだろう」ということもあります。99人ができるのに1人だけできないという人もいます。
だからこそ、指示をするときはその1人を想定してつくります。

 

・どんな人にでも注意を引かれる方法で

・出すべき結果は何かが見て取れて

・自分が起こすべき行動の選択肢がただひとつである

 

ような指示を掲示したり、メールしたり、口頭で伝えたりしなければなりません。

そんなことをぐずぐず考えていると人事評価シートを提出してください、という指示に30分もうなっていることがあります。

直接本人に伝えればいいんですが、それじゃこちらの連絡に瑕疵があると最初から認めているようなもんです。わたしはそんなこと気にしませんが、会社からの正式な連絡がそれじゃまずい(笑)。

 

いつもいつも考えています。

なぜ人事の仕事をしているんですか?

アルバイト面接に来てくれた学生さんに「なぜ人事の仕事をしているんですか」という直球の質問をいただきました。就活が始まっているようで興味があるんですね。

 

わたしのキャリアは

塾 → 人材開発ベンダー → 現職

です。

 

学生時代は人文科学のど真ん中。たどってみると「人間とは何か」という疑問から「人間の変容、成長、教育」に仕事の焦点が絞れていったのだと思います。なんとなく一貫性はあります。

 

人材開発の会社から現職の人事に移った経緯も聞かれました。
わたしは研修をつくったり評価システムをつくったりしていたのですが、そういった人材施策を「納品」してしまうとそれで終わりのように感じてしまいました。もちろん最高のサービスをご提供したとは思っていますが、成長を見届ける、変容をサポートするということはできない立場であることを痛感しました。

 

それでわたしは「自分の教育の場」がほしくなったのだと思います。
もちろんベンダーとして貢献することはすばらしいことです。ただわたしは自分の「生徒」たちと毎日一緒に過ごして彼らのいろいろな面を見ながら成長を見守りたかったのです。

 

そんな話を大学生としました。

トラブルを起こしやすい人

社内からあれこれご相談をいただいたときには、事実関係を確かめたあとに、登場人物たちがそのことをどのように受け止めたのかも確認しないといけません。

 

当然ですが人によって受け止め方は異なります。
「なんでそんな風に解釈するんだ」「どうしてそう思っちゃったの」ということもしばしばです。事実関係はわかった、だから結論はひとつだろうと考える人はトラブルを起こしやすいな、と感じます。

 

わたしは人の「受け止め方」を常に気にしています。
主にリスク管理の意味で考えることが多いのですが、そもそも受け止め方が多様であるということ自体に興味があります。

「楽しくやりましょう」は言い過ぎなことはない

社内事例共有の勉強会を企画しています。

 

参加者を募るための案内を社内向けにつくっています。
そのなかでわたしは自然に「楽しくやりましょう」と書いていました。

 

なぜそれを書いたのかとふりかえれば、眉間にシワ寄せて勉強するようなイメージではやりたくなかったからです。
弊社にはそういうの向いていないんです。しかし「勉強会」と名付けるとどうしてもそういう雰囲気になります。競争的な雰囲気というか、ふざけることが許されないような。真面目なことはとてもすばらしいのですが。

 

だから今回は募集のはじめから「楽しくやります」と宣言しました。
どんなにアホな質問でも歓迎される、元気になる勉強会にしたいです。

 

「学校のお勉強・受験勉強」のイメージから抜け出せていないとどうしてもハチマキして勉強したくなります。そういう世代が中心なうちは「楽しくやりましょう」はどんなに言い過ぎても言い過ぎでないと思います。

新人はゆとり世代

今日から新入社員がはいりました。
弊社は新卒採用をやっていないので中途採用です。しかし今回入社した彼は24歳。新卒2年生です。弊社では未経験であっても26~29歳で入社することが多いので異例の若さです。
今回は最終面接が2名で、彼になりました。若さに賭けたところはあります。
弊社で初の本格的なゆとり世代の入社です。

 

わたしはいわゆるゆとり世代の人たちのことが好きです。
人事の世界ではいろいろと言われたことがありましたが、彼らの受けてきた教育は決して間違っていません。自分の価値観にしっかりとものごとを照らして考えるクセは評価すべきことだと思っています。

 

彼に対する説明も今日は特に丁寧にしました。会社の制度がなぜこうなっているのかをしつこく説明しました。中小企業に入るのは不安でしょうから、それをぬぐうためにも丁寧さを心がけました。

 

さっそく現場仕事を手伝ってもらっています。よくがんばっています。

職場の処世術みたいなものってありますよね。

期末が近いです。
管理部門がとてもピリピリヒリヒリしています。見ているだけで伝わってきます。

 

職場においてそういう状態にある人への対処をどうするか、とても大切な問題になることがあります。

わたしはどうしているか?

 

まったく気にしません。いつも通り面倒なお願いもしますし、こちらが必要なことは要求します。時としてカチンとくるような対応をされることがありますが、気にしません。5歩で気分が切り替わります。

 

誰のどんな状況であれ、自分の機嫌で他人の行動を変えるようなことは認めません。
「いま話しかけたら怒られそう…」みたいなのは職場の会話としては面白いですが、その配慮を実装してはいけないと思うのです。
ますますそういう態度をとることを学んでしまいますよ。「そーゆーの通じないんで」と堂々と伝えましょう。

うちに対してそんなにがんばらなくていいのに

わたしは過去に営業職をやっていたことがあります。いわゆるBtoBの企業向けの人材サービスです。

 

ですから営業職の人がどう動くのか、何をモチベーションにするのかは理解できます。

 

弊社を「営業担当者」の目で見るとCランクの顧客です。
規模は中小、発注は年に1回。せいぜい数十万~百万円の売上。このランクの顧客にかけられるエネルギーは当然、限界があります。

 

ですから、営業担当の方のフォローが多少薄くても文句を言うつもりはありません。
ですが、サービスを提供する側としてはなかなかそういうわけにもいきません。企業によっては「顧客満足」を社是にしているところもありますから、そこまで気を使わなくてもいいよ、と思うようなことまでしてくれることもあります。
なんだかこっちが威張り散らしてるみたいな感じがしてしまうのです。
大して売上に貢献できていないのに申し訳ない。

 

そして思うのです。こういう過剰サービスが生産性を大きく損なっているのではないかと。日本を代表するような人材サービス会社さんが、たったこれだけの売上のためにそんなに足繁く来なくてもいいよ、と。

もちろん会社によってはピカピカの新人、つまり人件費の低い人を担当にして勉強目的で担当させることもあります。それはそれでまったく問題ありません。多少対応にイライラすることはありますが、そのレベルの対応でいいんです。

 

この顧客にはどのくらいのコストをかけるべきか、しっかり見分けるのも営業としては大切なことだと思います。

 

 

 

 

採用面接ばかりやっていると何を話しているのか混線することがあります

いろいろな求人が発生して、かなりバタバタしています。

 

面接もかなりやっています。募集している職種が

 

・弊社の専門職の経験者
・専門職を目指す未経験の方
・専門部署のサポート職の方
・1日単位のアルバイトの方

 

当然、それぞれに求める要件がバラバラなわけです。
これだけバラバラの人たちを毎日毎日見ていると脳みそがゆわんゆわんしてきます。
この人とは何を目的に話しているんだっけ?という疑問に襲われます。

違う職種の話をしそうになっていたり、「この職種では難しいけどこっちはどうかなー」とか余計なことを考え始めたり。目の前の人に集中するという最低限のことが難しくなってきます。大量の面接をこなすにはトレーニングが必要ですね。

 

人材採用は戦いです。