総務人事の日々

渋谷の中小企業で総務人事。本職は人材開発です。が、人事制度の設計からトイレのトラブル解決までなんでもやります。

「性学説」に立つ

人というものをどうとらえるか、という時に持ちだされるものに「性善説」と「性悪説」がある。

性善説
人は本来、善い行動をとるようにできており 放置していも悪いことは行わない。
悪いことをするのは、 悪い刺激によるのだ、というもの。

性悪説
人は本来、悪い行動をとるようにできており放置すると悪い行いをする。
悪いことをするのは、本来の在り方なので何らかの強制が必要だ。

教育、マネジメントを考える際にこのいずれかを持ちだされることがある。 

性善説に立つ場合は、もっと自由を与えてのびのびやらせよう。
性悪説に立つ場合は、もっと管理をして規律正しく行動させよう。

そんな意図が働くことがある。
しかし、これらはどちらも「思考停止」にたどり着いてしまう。

たとえば新人教育。
性善説に立って、ある程度の裁量を持たせて日々の業務にあたらせる。基礎を教えたら「あとは自分で考えなさい」という方針。しかしある日、この新人はミスを犯す。自分でしっかり考えたのだが作業のチェックが甘く多くの人に迷惑をかけてしまう。
そのとき指導をしていた上長は言う。「あなたのことを信じていたのに」。

性悪説に立って、基本的にきっちり管理で日々の業務にあたらせる。基礎どころか箸の上げ下げにいたるまでみっちり指導をする。ある日この新人は、お客様のためにある提案を思いつく。それを上長に伝えたところ、「とてもいいと思う。ルールに従って提案の申請をして承認を得なさい」。

どちらも限界をつくってしまっている。

ではどんな立場に立つのがよいか。
今のところそれは「性学説」ではないかと考えている。

人は学ぶ存在。善いことであれ、悪いことであれ。

だから学ぶ環境や指導する人間が重要になってくるのである。
善いことを学び、悪いことを遠ざける。そんな行動をとれるよう学びを促進させるのが最も有効である。