総務人事の日々

渋谷の中小企業で総務人事。本職は人材開発です。が、人事制度の設計からトイレのトラブル解決までなんでもやります。

管理部門のポリシー

わたしの配下に新しい人が来ます。わたしが直接指揮するわけではありませんが、チームの一員になります。
重要なポジションです。人選に4ヶ月かかりました。

 

週明けから出勤してくるのでオリエンテーションの準備です。
いつものように「人事の人としてのオリエンテーション」だけでなく、「所属長としてのオリエンテーション」です。

 

1時間程度の時間の構成をもてる研修構築技術を駆使してつくりました。
ふたりでやるワークや、コーチング的なアプローチなどを盛り込みました。

なのですが途中でぜんぶさっぱりやり直しました。
責任者として「何を」伝えるかが最優先です。なので洒落臭い伝え方は無視して、伝えるべきメッセージをしぼることにしました。(技巧に走りがちなダメな研修屋さんです)

 

管理部門に新しく加わるメンバーに伝えるべきメッセージはただひとつです。

 

「この会社の社員は守る価値がある」

 

この意識がないメンバーはわたしは許しません。
そりゃまあ、弊社の社員のだらしなさは目に余ります。あなたはこの専門技術があって本当によかったよね、ふつうの会社じゃ生きていけないよね、という人もそこそこいます(笑)。

 

でもわたしはいつも思うんです。わたしにとって彼らは守る価値のある人たちです。
彼らが顧客に対して熱心に取り組んでいること、顧客の一歩先、せめて半歩先を行こうという努力。顧客の価値を高めるという思考が当たり前に行われる社内環境。
わたしはそういう人たちが好きです。

 

人材開発屋さんとして人材サービスを提供していた頃、「あなたたち、本当にこの仕事スキ?この仕事はあなたの人生の中心にするに相応しいこと?」というお客様たちにもずいぶん出会いました。
しかし弊社にはそういう人はいません。これはとても稀有なことだと知っています。もちろん個別には技術や能力、成果に差はありますが、弊社の顧客意識の高さ、そしてそれを自然に体現している(しようとしている)ことがわたしは何よりの誇りです。

 

ですから弊社のメンバーはわたしにとって「守る価値のある人たち」です。
わたしは弊社が提供している専門技術は持っていません。でも彼らが持っている顧客意識の高さは共有できていると考えています。

 

来週から入社する新メンバーにもこのことを何度も伝えようと思います。
ことあるごとに「こいつらすごいだろ」と話そうと思います。

等級制度を導入したときのあの緊張感が毎年甦ります。

新年度の給与が確定しました。

等級制度をつくって5シーズン。運用もずいぶんとこなれてきました。
このシステムをつくったときには、5年後に人件費がバーストしている予想でした。それまでは景気のよかった頃のままのシステムでした。

社員にとっては「人件費抑制」というのはおもしろい話ではありません。ただやはりこれをやらなければならないタイミングでした。会社が沈むことはなかったでしょうが、なんらかのハードランディング(賞与ゼロなど)は避けられなかったと思っています。
これがベストの解答だとは思いませんが、人事屋さんとして人件費をある程度コントロールできる仕組みをつくれたことはちょっとした誇りです。

しかし作業は毎年とても緊張します。
改定作業はルールと手順がきっちり決まっているので、スムーズに進めることができます。でも何回やってもこの操作は独特の緊張感があります。初めてこのシステムを操作したときの緊張感。自分のつくった仕組みですから自信と不安は完全同居です。おそらく自分が気づいていない穴があります。でも給与のことですからミスは許されません。「間違いました、修正します」という対応は不信感を生みます。ひとつひとつ確認をしながら脂汗をかきながら作業を進めたことをありありと思い出します。


その緊張感は毎年甦ります。

 

ドラフトを作成して取締役会で議論をしてもらい、なんとかかんとかここまでたどり着きました。ひとりだけでホッとしています。

年度末の業務がピークに達しています。

年度末進行モードで、社内が大変慌ただしくなってきています。
お客様もこちらも納品日にピリピリ、請求日にピリピリしています。

 

社員の労働時間もいまがピーク。
社内のWebカメラの映像によると深夜まで作業をしていることがわかります。

 

社内の人員はおそらくこれがギリギリでしょう。
業務量に合わせて短期雇用のスタッフを出し入れする体制にすればよいのでしょうが、結局納品物のクオリティを考えると短期のスタッフにはとても任せられず。それは業務のアウトソースも同じこと。小さな会社が量でなく質で選ばれているのですから、そこを妥協しては意味がありません。

 

生産性、生産性と考えています。

面接のスケジュールをぬって勉強会をコーディネートしました

現場が業務に追われ、アルバイト採用面接をすべて引き取りました。
先週からずっと採用面接の絨毯爆撃です。スケジュールがほぼそれでうまっています。

 

そんな中、研修企画を強行しました。
こんなスケジュールのなかでよくもまあ、という。
弊社内には貴重な知見・情報がたくさんあります。業界でもなかなか見ないような難しい案件がたくさんあります。
しかしながらそれらの案件は終わると完全にしまい込まれてしまってせっかくの貴重な情報がいわば死蔵されているのです。共有サーバーを見れば成果物にアクセスできるのですが、その意図や苦労はわかりません。一昔前に流行ったナレッジマネジメントですね。

やったのはこれらの情報の社内共有勉強会です。
どの会社でもやっていることだと思いますが、弊社ではなかなか進みません。おもしろい案件をやっている人ほど忙しく、なかなか勉強会が開催されません。

 

そこで「講師指名」で行うことにしました。すなわち開催は「聞きたい人」が決めます。聞きたい人が1人でもいれば成立しますし、日程が合えば他の人も参加してくれます。講師役もご指名ならきっと乗ってくれます。過去の実際の案件について話してもらえばいいので勉強会用の資料を別途作成する必要がないのもメリットです。
わたしは日程、会場、講師のコーディネートを行ないほかの参加者の呼びかけをするのが役どころ。ん?とても簡単だぞ。

 

そんな勉強会でしたが、リラックスした雰囲気で、多くの学びのある機会でした。
やはり実際の案件ですから、話しているうちにありありと蘇ってきます。すばらしいリアリティでした。
今回は地方の拠点にも呼びかけてWebツールを使って中継をしてみました。ふだん本社の情報がなかなか入ってこないということもあり、とても喜んでくれたようです。

 

人事の人はこういう場をつくらなくっちゃね。

人は同じように理解できない。いつもいつも感じています。

職務上、人に指示をする機会が多いです。

 

・タイムカードシステムの入力の仕方
・会議室を使い終わって出るときにやってほしいこと
・自分のキャリアをふりかえるためにこの紙に、最もインパクトのあった経験を書いてもらうこと
・アルバイトの面接の日程調整のために、このURLにアクセスして日程を選んでくださいという指示

 

人間というのは本当に難しくて、同じ指示の仕方でも誰もが同じ行動をするわけではないということです。同じではないので出てくる結果も当然ちがいます。
「受け止め方」が全然ちがうんですね。

 

「なんでこれでわからないんだろう」ということもあります。99人ができるのに1人だけできないという人もいます。
だからこそ、指示をするときはその1人を想定してつくります。

 

・どんな人にでも注意を引かれる方法で

・出すべき結果は何かが見て取れて

・自分が起こすべき行動の選択肢がただひとつである

 

ような指示を掲示したり、メールしたり、口頭で伝えたりしなければなりません。

そんなことをぐずぐず考えていると人事評価シートを提出してください、という指示に30分もうなっていることがあります。

直接本人に伝えればいいんですが、それじゃこちらの連絡に瑕疵があると最初から認めているようなもんです。わたしはそんなこと気にしませんが、会社からの正式な連絡がそれじゃまずい(笑)。

 

いつもいつも考えています。

なぜ人事の仕事をしているんですか?

アルバイト面接に来てくれた学生さんに「なぜ人事の仕事をしているんですか」という直球の質問をいただきました。就活が始まっているようで興味があるんですね。

 

わたしのキャリアは

塾 → 人材開発ベンダー → 現職

です。

 

学生時代は人文科学のど真ん中。たどってみると「人間とは何か」という疑問から「人間の変容、成長、教育」に仕事の焦点が絞れていったのだと思います。なんとなく一貫性はあります。

 

人材開発の会社から現職の人事に移った経緯も聞かれました。
わたしは研修をつくったり評価システムをつくったりしていたのですが、そういった人材施策を「納品」してしまうとそれで終わりのように感じてしまいました。もちろん最高のサービスをご提供したとは思っていますが、成長を見届ける、変容をサポートするということはできない立場であることを痛感しました。

 

それでわたしは「自分の教育の場」がほしくなったのだと思います。
もちろんベンダーとして貢献することはすばらしいことです。ただわたしは自分の「生徒」たちと毎日一緒に過ごして彼らのいろいろな面を見ながら成長を見守りたかったのです。

 

そんな話を大学生としました。

トラブルを起こしやすい人

社内からあれこれご相談をいただいたときには、事実関係を確かめたあとに、登場人物たちがそのことをどのように受け止めたのかも確認しないといけません。

 

当然ですが人によって受け止め方は異なります。
「なんでそんな風に解釈するんだ」「どうしてそう思っちゃったの」ということもしばしばです。事実関係はわかった、だから結論はひとつだろうと考える人はトラブルを起こしやすいな、と感じます。

 

わたしは人の「受け止め方」を常に気にしています。
主にリスク管理の意味で考えることが多いのですが、そもそも受け止め方が多様であるということ自体に興味があります。

「楽しくやりましょう」は言い過ぎなことはない

社内事例共有の勉強会を企画しています。

 

参加者を募るための案内を社内向けにつくっています。
そのなかでわたしは自然に「楽しくやりましょう」と書いていました。

 

なぜそれを書いたのかとふりかえれば、眉間にシワ寄せて勉強するようなイメージではやりたくなかったからです。
弊社にはそういうの向いていないんです。しかし「勉強会」と名付けるとどうしてもそういう雰囲気になります。競争的な雰囲気というか、ふざけることが許されないような。真面目なことはとてもすばらしいのですが。

 

だから今回は募集のはじめから「楽しくやります」と宣言しました。
どんなにアホな質問でも歓迎される、元気になる勉強会にしたいです。

 

「学校のお勉強・受験勉強」のイメージから抜け出せていないとどうしてもハチマキして勉強したくなります。そういう世代が中心なうちは「楽しくやりましょう」はどんなに言い過ぎても言い過ぎでないと思います。